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第四話 置き切り
居間を片付けて紅中は長男の宏にも漫画の1巻を渡した。
「良かったら読んでみて下さい。私の自信作です」
「ふうん……まぁ、あとで部屋で読むからテーブルに置いといて下さい」
「はい」
(良かった。少し話せた。それに、作品さえ読んでもらえれば私という人間を知ってもらうのに充分ですからね)
父親の章生は既に漫画の世界に没頭していた。プロの漫画家だった章生がこれほど没頭して読んでいるというのはアマチュア漫画家の紅中には嬉しいことだ。
紅中はつい顔がニヤけてしまいそうになるのを頑張って抑えた。
「………………いや、かなり麻雀に対する理解が深くないと描けない漫画ですねこれ。チュンさんは元麻雀プロかなんかなんですか?」
「お父さんもそう思った? 打牌時の置き切りなんて完全にプロのそれだもんね。よく絵で描けてる」
「士郎さん、よくそこに気付きましたね、凄いです! 確かに、置き切りを再現している麻雀漫画はかつてひとつもありませんでしたからね。ここは私もこだわって描いた部分です」
「置き切り?」
「一流の打ち手はこうやって切るんです。打牌の音を出さず、なおかつ全員に同時に牌の絵柄が見えるよう考え尽くされた切り方。それが『置き切り』です。具体的にどのようにやるかと言いますと、牌の背ではなく下を先に着地させて、その着地した面を支点とし、優しく前へ押し倒すのです。このとき中指は側面に添えたままにして下さい。牌を綺麗に倒すために中指の『添え』は必要です。また、人差し指と親指は牌から速やかに離すことが大事です。麻雀店で働くスタッフはまず最初にこの牌の置き方を教わるものなのです」
「「「へぇ〜……」」」
(よしッ! 士郎さんナイス! おかげで宏さんからも関心の「へぇ〜」がいただけました! こうなれば私の勝ちです!)
たったひとコマの牌の切り方でしかないが、そこにプロの所作が見える。そういう漫画はまずない。
「チュンさんは麻雀店で働いていたんですか?」
「アハハ、若い頃。少しだけですけどね。奥さまと同じで下手の横好きでしたが。(大嘘です。今も私は麻雀を生業にするプロです)」
「そうだ! ねえ、せっかくだから麻雀をしようよ! 昔はよくやったじゃん! 家族麻雀。メンツが足りなくなってからは全然やらなくなってたけど。今日は4人いるし!」
「士郎、それはご迷惑になるだろ。チュンさんは仕事で来てるんだ。遊んでる時間はないだろ」
「そうだぞ、それは無理ってもんだ」
「いえ、私は今日一日は井之上家の家政婦です。掃除係というわけではございませんので皆様が望むのであればメンツとなることも可能でございます」
「えっ! ほら、やったー! じゃあ掃除はもういいから麻雀やろーよ!」
「いいのですか?」
「まあ、そうですね。かなり掃除も進んでますから。これだけ綺麗になってれば自分でもなんとか出来そうですし、チュンさんが良いと言うのであれば」
「兄ちゃんだって本当は麻雀したいよね!」
「……まーな」
「決まり! そしたら僕麻雀セット持って来るね!」
(予定通りです。さてあとは……ここからが本当の腕の見せ所というわけですね)
こうして紅中はイメージ通りの展開に持ち込んだ。
紅中の接待麻雀が始まる!
4.第四話 置き切り 居間を片付けて紅中は長男の宏にも漫画の1巻を渡した。 「良かったら読んでみて下さい。私の自信作です」「ふうん……まぁ、あとで部屋で読むからテーブルに置いといて下さい」「はい」(良かった。少し話せた。それに、作品さえ読んでもらえれば私という人間を知ってもらうのに充分ですからね) 父親の章生は既に漫画の世界に没頭していた。プロの漫画家だった章生がこれほど没頭して読んでいるというのはアマチュア漫画家の紅中には嬉しいことだ。 紅中はつい顔がニヤけてしまいそうになるのを頑張って抑えた。「………………いや、かなり麻雀に対する理解が深くないと描けない漫画ですねこれ。チュンさんは元麻雀プロかなんかなんですか?」「お父さんもそう思った? 打牌時の置き切りなんて完全にプロのそれだもんね。よく絵で描けてる」「士郎さん、よくそこに気付きましたね、凄いです! 確かに、置き切りを再現している麻雀漫画はかつてひとつもありませんでしたからね。ここは私もこだわって描いた部分です」「置き切り?」「一流の打ち手はこうやって切るんです。打牌の音を出さず、なおかつ全員に同時に牌の絵柄が見えるよう考え尽くされた切り方。それが『置き切り』です。具体的にどのようにやるかと言いますと、牌の背ではなく下を先に着地させて、その着地した面を支点とし、優しく前へ押し倒すのです。このとき中指は側面に添えたままにして下さい。牌を綺麗に倒すために中指の『添え』は必要です。また、人差し指と親指は牌から速やかに離すことが大事です。麻雀店で働くスタッフはまず最初にこの牌の置き方を教わるものなのです」「「「へぇ〜……」」」(よしッ! 士郎さんナイス! おかげで宏さんからも関心の「へぇ〜」がいただけま
3.第三話 お試し 玄関には家族の写真がいくつか飾られていたがどれも子供たちか子供と父親が一緒に写っている写真かであり母親の写真はひとつも無かった。(いつもカメラを持つのは奥さまだったようですね。まあ、そういう家庭は珍しくないです。けど、1枚くらいあっても良さそうなものですけど) 玄関から廊下はある程度掃除してあったので細々したゴミを取り除き、あとは拭き掃除することで一旦よしとした。(玄関口にわずかですが悪臭がありますね。まあ、玄関、とくに靴は臭うものですからね……まして男性3人では。こういうのは他人じゃないと気付けない臭いなので自分たちでは対策をしない家庭がほとんどです。持参した強力消臭剤を置くとしましょう)……コトッ 紅中は玄関の靴箱の上に無香料の消臭剤を置いた。見た目はオブジェのようで掃除して細々したゴミがなくなった靴箱の上に置くのにはちょうどいい。 廊下には電話が置かれていないのに電話台があり、なんとなく時代に置き去りにされたかのようでどこか寂し気に見えた。(この電話台、ここにあっても意味がありませんね。ちょっとどけましょうか……。どこに置いたら丁度いいでしょう……?) 紅中は靴箱の横にスペースがあるのを見つけた。(ん! ここ丁度いいんじゃないですか?) 紅中は内ポケットから小さな巻き尺を取り出して靴箱横のスペースと電話台を計測した。「わあっ! 1センチの狂いもなくぴったりだわ!」 紅中は思わず声が出た。「どうしました?」「あっ、旦那様。失礼しました。これは、ちょっとびっくりしただけで」「何か手伝いますか?」「よろしいのですか? それでしたらこの電話台を玄関の方に運びたいので一緒に持ち上げてもらえたらありがたいです」「了解。その程度、お安い御用だよ」「「せーの……ンッ!」」 欅で作られたその電話台は中身を全部出してもなかなか重かった。「よいしょ……っと。あ、ぴったり!」「ええ、本当に。少しのズレもなくぴったりなんですよ。元からここにあったのでは? と思えるほどに。それでさっき驚いてしまって。旦那様、持ち運びご協力ありがとうございました」「いやいや、こんな事でいちいちお礼なんかいらないですよ。それより少し休憩にしませんか。もうかれこれ1時間半ほど働いてますし。その間オレンジジュースをひと飲みしただけでは疲れたでし
2.第二話 アマチュア漫画家 井之上家の住人は3人だけ。父、井之上章生(いのうえあきお)45歳。長男、井之上宏(いのうえこう)16歳。次男、井之上士郎(いのうえしろう)13歳。この3人だ。母親は亡くなっており男3人で暮らしているようだが、家事がうまくできる者が誰一人としておらず、困り果てているようである。加えて収入面においても作家であった奥さまを失い、余裕ある暮らしの継続は難しくなったと見ていいだろう。まだ貯金が残っているうちに家政婦に任せようという考えなのではないだろうか。 家は大きくて立派な庭付き一戸建て。部屋数こそ少ないが、その各部屋が広い。(東京都内でこの広さなら大変な値段になるはずだけど、ここはギリギリで埼玉県。でもむしろ子育てにはこのくらいの環境がいいわよね。となると、いくらくらいなんでしょうね。勉強不足だったわ。わからない。なんにしてもこう大きくては安くはないはず。この家はローンで購入したのかしら。それとも作家だった奥さまの一括?)「それでは士郎さん。まずはあなたの部屋から片付けますので少々お待ち頂けますか」「うん、わかった。じゃあ僕は飲み物でも買ってくるよ」 士郎は気が利く子だ。頭もいいし、優しい子なので友達も多いが、ここ1年ほどは学友を1人も家に呼んでいない。呼ばないようにしているのだ。家が散らかっているしゴミの臭いが気になるから。 自分の部屋が汚いくらいのことは毎度の事なのでさほど気にせずにいられるのだが、家そのものが汚いというのはさすがにまずい。 ガチャ(あー、散らかしてますけど収納はありますね。棚の使い方も工夫すればかなり物が収まりそうです。これはけっこう簡単かな) ――30分後ガチャ「ただいまあ~」「おかえりなさいませ。お買い物お疲れ様です。士郎さん、お部屋はあらかた片付きましたよ。あとは掃除機をかければいいだけですね。士郎さんの部屋はもうゆったりくつろげるスペースを作りました」「エッ! ほんとに? ちょっと飲み物買いにスーパー行ってたほんの30分で?!」 驚きのあまり士郎は駆け足で自分の部屋を確認に行った。バタバタバタ!ダンダンダンダンダン!ガチャ「……本当だ……すっげーーーー! さすが家政婦さん! うわすっげーー!」「お褒めに預かり光栄です」 するとテーブルに見た事のない本が置いてあるのが士
1. 麻雀のプロにはいくつかの種類がある。 リーグ戦などで切磋琢磨する競技麻雀のプロ。 大きな賭場で稼ぐバクチ打ち。よくある麻雀店で働くスタッフ。健康麻雀の講師など。 他にも麻雀を生業にしている人間は様々いる。 ――そして、ここにも。特殊な働き方を選んだ麻雀プロがいた。──── (好形イーシャンテンですね……)二四六七④⑤3456778 三ツモ(ドラは4索……この手からは後に危険になりそうな3索を今のうちに捨ててテンパイ時に安全性が高そうな8索を捨てるのが手順です。でも、だからこそ私の仕事的には……)打8「よーし、リーチだ!」「(来ましたね。待ってましたよ)ここは私も降りられませんね」打6「ロン! 一発だから満貫!」「チュンさーん。どんな手から勝負しちゃったのー?」「いい手でしたよー。テンパイですし」チュン手牌二三四赤伍六七④⑤34577「ああ、三色変化を待ちつつのタンピン系ダマ満貫か。これは6索放銃も仕方ないねー。ていうかもうリーチしちゃっても良かったんじゃないの?」 「チュンさんっていい手作りしてるけどチョイチョイ大物手に放銃しちゃってるよね」「アハハ、あまり守備が上手くないんで」「不思議だなー。いつもけっこういいポジションにいるのにね」(私は気持ちよく麻雀をしてもらえれば、それが仕事ですからね。上手に点数を分配するためには最初はある程度集める必要がありますし)──────「ああ、今日の麻雀も楽しかった! チュンさん、また明日ね!」「ええ、また明日。リベンジさせて下さい(ふう、今日もなんとか任務完了ですね)」 これは、接待麻雀という打ち方を生業に選んだ特殊な麻雀打ちの物語――麻雀家政婦『紅中』〜接待麻雀専門家〜「では、行ってまいります」「任せたよ。気を付けてね、チュン」「はい。お任せ下さい」 そう言うと大きな荷物を背負い事務所の扉を開けて彼女はお勤めに出た。 ここは特殊な専門知識を持つ家政婦のみが採用される特別な家政婦の集まる場所。『特化家政婦専門事務所 アズマ』 家政婦派遣いたします。料金は応相談。サービスに対して高いということは決してございません。顧客満足度97% 初回はお試し価格。東京都と東京隣接地域ならほぼ全箇所出向きます。 表向きはここまでの情報しかない。いったい何について